仲人名人から受け継いだのは、答えではなく「おせっかい」だった——清水夫妻が手探りで築いたKMAの婚活支援

創業から長い歴史を持つ結婚相談所KMA。仲人名人と呼ばれた先代のもとに、完成されたマニュアルは残されていませんでした。清水泰治さん・小百里さんご夫妻が、目の前の会員さんと向き合いながら築いてきた「おせっかい」の婚活支援に迫ります。

〈聞き手=笠原 佳介〉

今回話を聞いた人

清水小百里
清水 小百里
Sayuri Shimizu

結婚相談所KMA / 代表 婚活カウンセラー

株式会社KMA 取締役副社長・婚活カウンセラー。20年以上にわたり婚活支援に携わり、心理カウンセリングやコーチング、LGBTQ+支援などの知見も生かしながら、一人ひとりに寄り添ったサポートを行う。著書に『結婚したければ選ばれる男になりなさい』。

今回話を聞いた人

清水泰治
清水 泰治
Yasuharu Shimizu

結婚相談所KMA / 代表取締役

株式会社KMA代表取締役。食品メーカー勤務を経て家業のKMAに参画し、2011年に代表取締役へ就任。経営・Web・運営面から相談所を支える一方、長年サッカー指導にも携わり、人材育成にも取り組んでいる。

かつてKMAには、多くの会員と支部を束ねる「仲人名人」がいた。

初めて会った相談者を見ただけで、「この人なら、あの会員と合いそうだ」と相手が自然と思い浮かぶ。実際に紹介すると、そのまま成婚へ進むことも珍しくなかったという。

その仲人名人こそ、現在KMAを運営する清水泰治さんの母・富樫泰子さんだ。

しかし、富樫さんの判断方法や支援の手順をまとめたマニュアルは残されていない。妻の清水小百里さんも、仲人として直接教わる機会がほとんどないまま、先代が病に倒れ、その後亡くなるという大きな転機を迎えた。

スタッフが離れ、現場を担う人がいなくなる中、小百里さんが口にしたのは、「じゃあ、私がやるよ」という言葉だった。

先代のやり方を再現するのではなく、目の前の会員と向き合いながら、自分たちなりの支援を一つずつつくっていく。

現場を担う小百里さんと、経営・Web・事務作業を担う泰治さん。

清水夫妻が手探りで築いてきたKMAの歩みを聞いた。

約200人の会員を見ていた「仲人名人」

笠原

先代は「仲人名人」と呼ばれたカリスマだったと聞きました。先代が中心となっていた頃のKMAは、どのような相談所だったのでしょうか。

清水泰治さん

当時は従業員が10人以上いました。今のようにパソコンでプロフィールを確認してお見合いを申し込む時代ではなく、紙のプロフィールを会員さんに発送する仕組みでした。お見合いの申し込みや申し受けは電話やFAXで対応していたので、とにかく人手が必要でした。電話は一日中鳴りっぱなしでしたね。

清水小百里さん

KMAは本部として多くの支部を抱えていました。支部の男性会員さんには女性のプロフィール、女性会員さんには男性のプロフィールを送るため、プロフィールの仕分けと発送も本部で行っていました。

清水泰治さん

毎週1回、大きな段ボールに入った約2,000人分のプロフィールが届き、それを支部ごとに分けて発送していました。仕分けの日だけ来てもらうパートさんもいたほどです。

清水小百里さん

お見合いの申し込み・申し受けの電話対応をする人、申し受けを会員さんに郵送する人、お見合いの日程を組む人など、相談所の運営には本当に多くのスタッフが関わっていました。

笠原

その中で、先代はどのような役割を担っていたのでしょうか。

清水泰治さん

会員さんとの面談は、母がすべて担当していました。長い日は、一日中話し続けていたのではないでしょうか。

笠原

家族として見ていた先代と、仲人としての先代に違いはありましたか。

清水泰治さん

あまり変わらなかったですね。普段から存在感のある人で、友人からも「オーラがある」と言われるような人でした。

清水小百里さん

当時の埼玉では、仲人のカリスマ的な存在でした。

清水泰治さん

相談に来た方を見て、「この人なら、うちのあの会員さんに合いそうだ」とすぐに思い浮かぶんです。

笠原

一目見ただけで分かるのですか。

清水泰治さん

特殊能力のようでした。相手がパッと浮かんで、紹介するとそのままお見合い、そして成婚まで進む。そんなことが何度もありました。

清水小百里さん

実は、私たちの結婚にも関わっているんです。

笠原

え、お二人の結婚にもですか。

清水小百里さん

私が30歳になった時、「そういえば結婚相談所をやっている人がいたな」と思い出して相談に行ったんです。「結婚したいんです」と伝えたら、「うちの息子を紹介するわ」と言われました。

笠原

それが泰治さんだったのですね。

清水小百里さん

そうです。そういう勘が働く人だったんですよ。

笠原

その“人を見る勘”や支援方法は、マニュアルとして残されていなかったのでしょうか。

清水小百里さん

私は見たことがありません。先代は仲人さんたちを集めて定例会を開き、その場でいろいろなことを言葉で伝えていたようです。

笠原

具体的な手順を細かく教えるというより、考え方を伝えるスタイルだったのですね。

清水小百里さん

そうだと思います。最後は「自分たちのオリジナルで、自分たちの色でやってきなさい」という人でした。

清水泰治さん

昔の職人のように、「見て覚えなさい」というタイプだったのかもしれません。

埼玉新聞から寄贈された仲人名人の新聞記事の銅板額
埼玉新聞から寄贈された「仲人名人」の新聞記事を収めた銅板額

直接教わる機会のないまま、現場を知る人がいなくなった

笠原

小百里さんは、先代と一緒に仲人の仕事をしていたのでしょうか。

清水小百里さん

ほとんどしていません。結婚した頃に書類の仕分けを手伝ったことはありましたが、すぐに妊娠して出産・子育てに入りました。結婚して間もなく先代が病気になり寝たきりになってしまい、事務所で働く姿を見たのも一度か二度ほどだったと思います。

笠原

それでも、いずれはKMAに関わると考えていたのですか。

清水小百里さん

結婚した時から、いずれ二代目として関わるんだろうなとは思っていました。私自身、この仕事が嫌いではありませんでした。ただ、想像していたよりもずっと早く、その時が来てしまったんです。

笠原

先代が病気になった後、会社はどのような状況になったのでしょうか。

清水小百里さん

スタッフの方たちは先代について働いていたので、病気と分かった時点で半分ほど離れてしまいました。亡くなった後には、さらに人がいなくなりました。

清水泰治さん

僕はもともと会社の経理や管理を担当していて、会員さんとの面談にはほとんど関わっていませんでした。

清水小百里さん

義父も以前は仲人をしていましたが、長い間、現場は先代に任せていました。支部の定例会をまとめてはいましたが、会員支援の最前線からは離れていたんです。

笠原

先代が亡くなり、会員対応を分かる人がほとんどいなくなったのですね。

清水小百里さん

そうです。それでも既存の会員さんは残っていますし、2週間おきに仕分け作業もあるので、長男が幼稚園に行っている時間に手伝いに行っていました。その後二人目を妊娠したので一旦離れましたが、最後まで会員さんのお世話をしてくれていた方も定年で辞めることになってしまいました。

笠原

新規の会員さんも減っていたのでしょうか。

清水小百里さん

どんどん減っていました。売上も厳しくなり、いよいよどうするのかという状態になったんです。

「じゃあ、私がやるよ」

笠原

現場を担う人がいなくなった中で、お二人はどのような話をしたのでしょうか。

清水小百里さん

お給料も削減されるような状況でした。でも当時は二人目の子どもが生まれたばかりで、私は乳飲み子を抱えていました。

清水泰治さん

ただ、廃業するという話はありませんでした。昔ほどの規模ではなくても会員さんはいましたし、支部からの会費もあったので、会社としての基盤は残っていました。

笠原

その中で、小百里さんが現場に立つと決めたのですね。

清水小百里さん

「もういよいよだね」となった時に、「じゃあ、私がやるよ」と言いました。私も、いつまでも主婦のままでいるわけにはいかないと思ったんです。最初は会員データの入力や既存会員様のお見合い設定などから始めました。

自営だったこともあり、毎日出社する必要はなく、会員さんとはメールや電話、当時はFAXでも連絡が取れたので助かりました。出社する時は土日が多かったのですが、その時間だけ実母に来てもらったり、実家に預けたりしながら、徐々に接客にも入っていきました。

笠原

小百里さんが仕事に出られる環境を整えるうえで、転機はありましたか。

清水小百里さん

ちょうどその時期に東日本大震災がありました。実家の壁にひびが入り、両親がリフォームを考えていたので、それなら一緒に住もうと考えたんです。二世帯で住める家に建て替えて同居すれば、子どもを見てもらえる環境が整い、私も仕事に出られると思いました。

笠原

生活そのものを組み直したのですね。

清水小百里さん

そうです。以前の事務所は従業員が大勢いた頃の広い場所で、今の規模には大きすぎました。そこで現在の場所を見つけ、レイアウトも自分で考えました。家の環境も事務所も整えて、「さぁ!ここからやりますよ!」と、本格的に始めました。

KMAのカウンセリングルーム
KMAのカウンセリングルーム

会員の困りごとから逆算して、支援をつくった

笠原

マニュアルがない状態で、最初に何から始めたのでしょうか。

清水小百里さん

最初は、残っていた会員さんとのメールのやり取りでした。実際に対応していく中で、「会員さんは活動中にこういう支援を必要としているんだ」と分かってきたんです。

また、ちょうどその頃、各連盟がプロフィールを紙媒体からネットに切り替える時期でもありました。写真を撮り直したり、プロフィール内容を作り直したりする必要があったので、ご挨拶も兼ねてご来社いただきました。その際、多くの会員さんからいろいろなお話を伺いました。

笠原

既存の会員対応を通じて、仕事の全体像をつかんでいったのですね。

清水小百里さん

そうです。そこから逆算しました。「活動中にこれが必要なら、入会前にこの話をしておこう」「うちではこういう支援ができますと伝えよう」と考えて、面談で使う資料や話の流れを自分で作っていきました。

笠原

先代のやり方を再現したのではなく、会員さんが必要としているものから組み立てたのですね。

清水小百里さん

そうですね。初期の頃の会員さんは、「今と全然違う」と思うかもしれません。世間話の延長のような面談でしたから。会員さんと接する中で、「これも言わなければ」「あれも伝えなければ」と内容がどんどん増えていきました。

笠原

マニュアルがなかったことは、大変である一方、現在の支援にもつながっているのでしょうか。

清水小百里さん

そうかもしれません。雇われているカウンセラーには、使う言葉や対応方法の決まりがあると思います。私はそういうものがなかったので、自分の言葉で話してきました。

清水泰治さん

雇われていると会社のルールがあるので、言いたくても言えないことがあると思います。小百里には、そういう制約がありませんでした。

清水小百里さん

もし先代が元気で、細かく教わっていたら、もしかすると意見がぶつかっていたかもしれませんね。

現場を担う小百里さん、経営を担う泰治さん

笠原

再出発にあたり、集客はどのように立て直したのでしょうか。

清水泰治さん

僕が担当するようになってからは、集客はインターネット一本です。テレアポが難しい時代になっていたので、ホームページをつくり、そこから問い合わせを受ける形に切り替えました。

笠原

そのうえで、お二人はどのように仕事を分担したのでしょうか。

清水小百里さん

スパッと分かれています。私は会員さんの対応。主人はホームページ、経理、登録など、経営に関わることを担当しています。

清水泰治さん

僕は会員さんとは、ほぼノータッチです。それ以外の業務を担当しています。

笠原

泰治さんは、小百里さんが現場に集中できるよう、それ以外の仕事を引き受けているのですね。

清水泰治さん

特別に意識しているというより、僕にできることをやっているだけです。

笠原

小百里さんの会員対応は、どのくらいの時間に及ぶのでしょうか。

清水小百里さん

朝から晩までLINEをしています。夜中にメッセージが届くことも多いのですが、私から返信するのは朝7時から夜11時頃までと時間を決めています。

清水泰治さん

労働時間は長いと思います。

清水小百里さん

年中無休に近いですね。平日の夜にZoomや電話で話すこともあります。

清水泰治さん

雇われているカウンセラーでは、同じ対応は難しいかもしれません。自宅へ仕事を持ち帰れなかったり、営業時間や休日が決まっていたりしますから。

清水小百里さん

他の相談所から移ってきた方に、「話を聞いてほしい時に聞いてもらえなかった」と言われることもありました。

「何人、子育てしたかって感じです」

笠原

特に手がかかったという意味で、印象に残っている会員さんはいますか。

清水小百里さん

何でも報告してくる女性会員がいました。デートの前日に「今、服屋さんにいるんですけど、どの服がいいですか」と、試着室から写真を送ってくるんです。

笠原

服装まで一緒に選ぶのですね。

清水小百里さん

「二番目がいいと思うよ」と返します。髪を上げた方がいいか下ろした方がいいか、次のデートで何を話したらいいか、今日こんなことを言われたけれどどうすればいいか——全部聞いてきました。

笠原

少しは自分で考えなさい、と言いたくなることはありませんでしたか。

清水小百里さん

言いたくなることはあります。でも、分からないまま勝手に判断して失敗するくらいなら、「分からなければ聞きなさい」と伝えています。

笠原

まさに「おせっかい」ですね。

清水小百里さん

子育てですよ。何人、子育てしたかって感じです。自分の子どもの方が手がかからないくらいです。

笠原

会員さんを家族のように感じることもありますか。

清水小百里さん

あります。妹のように感じる人もいれば、娘のように感じる人もいます。結婚して子どもができて、会いに来てくれた時には、おばあちゃんのような気持ちになりますね。

笠原

そこまで関わる原動力は何なのでしょうか。

清水小百里さん

これだけたくさんの相談所がある中で、うちを選んでくれたんだから、私がどうにかしなければという使命感があります。でも一番は、目の前にいるこの人を幸せにしてあげたいという気持ちだと思います。

笠原

特に、力になりたいと思うのはどのような方ですか。

清水小百里さん

人柄はとてもいいのに、いつも「いい人」で終わってしまう方です。「友達ならいいけれど、結婚はイメージできない」と断られてしまう。そういう方を見ると、「何とかしてあげたい」と気合いが入ります。

笠原

最初は結婚を諦めていた方が、成婚したこともありますか。

清水小百里さん

あります。「俺はどうせ結婚できない」と斜に構えていた方が、少しずつ私の言葉を聞いてくれるようになるんです。

笠原

どのように変わっていくのでしょうか。

清水小百里さん

同じ失敗を繰り返している時に、「騙されたと思って、一度これをやってごらん」と伝えます。それで少し結果が出ると、斜に構えていた人が、きちんと前を向いてくれるようになる。

笠原

その方が成婚した時は、どのような気持ちになりますか。

清水小百里さん

本当にうれしいです。手がかかった人ほど、うれしい。そこまで関わっていると、自分も一緒に婚活しているような感覚になるんです。

笠原

相手の方に対しても、思い入れが生まれますか。

清水小百里さん

生まれます。「この女性なら、結婚したらきっといい奥さんになるよ」と、本気で言えるようになります。みんなで一緒に進めてきたものが実った時は、本当にうれしいですね。

厳しさより先に、その人の魅力を見つける

笠原

支援する中で、難しいと感じるのはどのような会員さんですか。

清水小百里さん

自分のやり方を変えない方ですね。「分かりました」と言いながら変えなかったり、やめた方がいいと伝えたことを繰り返したりする方です。

笠原

その場合は、はっきり伝えるのでしょうか。

清水小百里さん

はっきり言っても大丈夫そうな方には、はっきり言います。プライドが高い方には、何回かに分けて伝えることもあります。「以前こういうことをして失敗した方がいたから、気をつけてね」と第三者の話として伝え、それでも同じことをした時に「前に話した失敗と、今あなたがやっていることは同じだよ」と伝えます。

笠原

そういった伝え方も、支援を重ねる中で身につけてこられたのでしょうか。

清水小百里さん

そうですね。以前はもっと強く言っていたと思います。今は、会員さんの弱さに寄り添いながら、こちらへ引っ張っていくような伝え方を意識しています。

笠原

具体的には、どのように伝えるのでしょうか。

清水小百里さん

悪いところが五つあったとして、一つずつ全部直そうとすると本人もしんどいんです。「これも駄目、あれも駄目」と言われたら嫌になりますよね。

笠原

一度にすべてを変えようとしないのですね。

清水小百里さん

はい。むしろ、一つを引き上げることで、ほかの部分も変わることがあるんです。

笠原

実際にそうした会員さんがいたのでしょうか。

清水小百里さん

暗く見えて、目を見て話せず、声も小さくて、見た目にもあまり気を使っていない男性がいました。まず髪型を変えてもらい、スタジオで綺麗なプロフィール写真を撮ってもらったんです。

笠原

それをきっかけに変化があったのですか。

清水小百里さん

本人がその写真を気に入って、「もっと格好よくならなければ」とジムに通い始めました。体が引き締まり、自信がついて、相手の目を見て話せるようになり、声を出して笑えるようにもなりました。

笠原

外見を変えたことで、内面や行動も変わったのですね。

清水小百里さん

そこで気づきました。悪いところを一つずつ叱るのではなく、一つ伸ばしてあげれば、あとは本人が自分で変えていけることもあるんだと。

笠原

厳しいことを伝える時に、どのようなことを意識してきましたか。

清水小百里さん

以前は「二ついいところを伝えてから、一つ直してほしいことを伝える」というやり方を心がけていた時期もありました。「あなたは優しいし穏やかだし、一人暮らしで料理もできる。そこに気づいてもらえれば、あなたを選ぶ女性はきっといる。でも今の見た目で最初に断られてしまうのはもったいないから、髪を切ってきなさい」と伝えます。

笠原

最初から改善点を指摘するわけではないのですね。

清水小百里さん

「その見た目では女性に嫌がられるよ」と最初に言ってしまえば、自信をなくしてしまいます。先に本人のいいところを伝えた上で、「ここを直せば、もっと魅力に気づいてもらえる」と話すんです。興味を持って話を聞けば、全員に必ずいいところがあります。それをいかに引き出してあげられるかだと思います。

「私の正しさ」で、誰かの可能性を閉じない

笠原

LGBTQの方の支援を始めたことで、従来の会員支援にも変化はありましたか。

清水小百里さん

変わりました。長く支援を続けて実績や自信がついたことで、どこかに「私が言うことが正しい」という気持ちがあったのかもしれません。

笠原

それまでの経験が、無意識の決めつけになっていたと。

清水小百里さん

LGBTQの方を支援すると、これまでの常識では考えられないことがたくさん起こります。それで、「本当に決めつけてはいけない」と実感しました。

笠原

「男性はこう」「女性はこう」というアドバイスも通用しないのですね。

清水小百里さん

通用しません。自分の常識に当てはまらない生き方でも、それは本人の人生です。否定せず、「そうなんだ。では、その形で幸せを探そう」と考えなければいけません。

笠原

支援を始めた当初は、どのような気持ちでしたか。

清水小百里さん

心の中ではドキドキしていました。言ってはいけないことを言わないか、傷つけてしまわないか、言葉を選びながら話していました。面談が終わった後も「あれでよかったのかな」とモヤモヤしていました。でも少しずつ経験を重ねて、「この人はこういう人なんだ」と、そのまま受け止められるようになりました。

笠原

そういった難しさを感じる中で、それでも支援を続けようと思ったのはなぜですか。

清水小百里さん

うちを選んで頼ってきてくれたからです。自分がおかしいのではないかと悩んできた方もいます。そういう方には、「あなたはおかしくない。それでいいんだよ。あなたにも幸せになる権利があるから、一緒に探そう」と思って接しています。

笠原

婚活の悩みだけでなく、その方が抱えてきた人生の痛みに向き合うこともあるのでしょうか。

清水小百里さん

そうですね。過去の経験が今の悩みにつながっていたり、気持ちが不安定になっていたりする方もいます。

笠原

そのような時には、どう接するのでしょうか。

清水小百里さん

とにかく聞き役に徹します。私が先に話すと、それが決めつけになってしまうことがあるので、「そうなんだ」「そんなことがあったんだね」と聞くようにしています。それを続けるうちに、男女の会員さんに対しても、先に決めつけず、まず聞こうと思えるようになりました。

笠原

支援の強さを調整するようになったのですね。

清水小百里さん

以前はもっと「イケイケゴーゴー」だったと思います。でも今は、恋愛経験がない方や、強く言われることに慣れていない方も多い。その人の世界に合わせて、言い方や進め方を変えるようになりました。

笠原

結婚や家族についての考え方も変わりましたか。

清水小百里さん

家族にはいろいろな形があります。成婚退会してすぐ入籍する人もいれば、一緒に暮らしてから決める人もいる。従来のルールだけで「それは駄目」と言っていたら、結ばれなかったご縁もあると思います。

笠原

仲人が自分の正解を押しつけるのではなく、本人たちに合う形を探すことが必要だと。

清水小百里さん

そうですね。「最近の若い方は宇宙人みたいだ」と話す仲人もいます。でも若い方から見れば、私たちも宇宙人ですよね。お互いが違うなら、支援する側が合わせていくしかないのかなと思っています。

さいたま市SDGs企業認証式の様子

「私との出会いがよかった」と言ってもらえること

笠原

小百里さんにとって、仲人とはどのような仕事ですか。

清水小百里さん

私は天職だと思っています。この性格で、黙々と接客するような仕事は向いていないでしょうから。

笠原

天職だと思う理由は、やはり「おせっかい」ですか。

清水小百里さん

頼られることが好きなのかもしれません。「面倒だ」と言いながら、結局やってしまうんです。昔からそういうところがありました。

笠原

先代の「おせっかい」を受け継いだ感覚はありますか。

清水小百里さん

私自身の性格が大きいと思います。でも、先代もおせっかいな人でした。仲人とは、そういうものなのかもしれませんね。

笠原

泰治さんにとって、KMAの仕事はどのようなものでしょうか。

清水泰治さん

僕は会員情報を登録したり、写真を加工したりする作業が苦ではありません。むしろ好きなので続けられています。仕事がたまっても、遅くまで作業することは平気ですね。

笠原

お二人とも、それぞれの得意な仕事を担ってきたのですね。

清水泰治さん

だから両立できているのだと思います。

笠原

KMAでは、何をもって支援の成功だと考えていますか。

清水小百里さん

子どもが生まれて楽しく暮らしていることも、子どもがいなくても夫婦で仲良く暮らしていることも、もちろん幸せだと思います。

笠原

結婚後の形は、一つではないと。

清水小百里さん

中には結果的に別れてしまう方もいます。それでも「あの人と出会えてよかった」と言ってくれることもあります。

笠原

では、成婚や結婚生活が続くことだけが成功ではないのでしょうか。

清水小百里さん

何が正解かは分かりません。でも、「清水さんに出会えてよかった」と言ってもらえることが、私にとっての成功なのかもしれません。

笠原

会員さんには、どのような仲人だったと記憶されたいですか。

清水小百里さん

「清水さん、面白かったね」「話しやすかったね」と思ってもらえたらうれしいです。「いろいろなことを教えてもらったな」と思ってもらえるのもいいですね。

笠原

最後に、先代が現在のKMAとお二人の姿を見たら、どのような言葉をかけると思いますか。

清水泰治さん

母は、はっきり言う人でしたからね。何と言うだろう。

清水小百里さん

何て言うかしら。

清水泰治さん

褒めてはくれないような気がします。

清水小百里さん

たぶん、また発破をかけられるんじゃないですかね(笑)。

仲人名人から受け継いだのは、答えではなく「おせっかい」だった

先代から、完成された答えは残されなかった。

人を見る鋭い勘も、成婚へ導くための手順も、誰でも再現できる形では受け継がれていない。

だから清水夫妻は、目の前の会員と向き合いながら、自分たちなりの答えを一つずつつくってきた。

活動中の困りごとから逆算して面談の内容を考え、服装を一緒に選び、夜中に届いた相談へ朝から返信する。

時には耳の痛い現実も伝える一方、先に本人の魅力を見つけ、自信を失わない伝え方を模索してきた。

そして、多様な生き方や家族の形に触れる中で、仲人自身の正しさを押しつけるのではなく、まず相手の話を聞き、その人に合った幸せを一緒に探す支援へと変化している。

小百里さん自身は「おせっかいは自分の性格なのかもしれない」と話す。
それでも、困っている人を放っておけず、本人がまだ気づいていない魅力と可能性を信じようとする姿は、仲人名人と呼ばれた先代の仕事と確かにつながっている。

受け継いだのは、決められた答えではない。
「自分たちの色でやりなさい」という余白と、目の前の人を何とかしたいと願う、おせっかいの心だった。

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